発達障害もどきの行く末

発達障害グレーゾーンと診断されたとある社会不適合者による悪足掻き。とにかく職歴が悲惨

コミュ障社会不適合者が、「がんばらない練習」を熟読してみた

どうも、発達障害もどきです。略して「はつしがもどき」です。

 

今回は読書感想文ということで、こういう本を読んでみました。

 

がんばらない練習

がんばらない練習

 

 

いかにも、力の抜けた表紙が特徴の本ですね(笑)

 

 

こちらの本を執筆された「pha」さんですが、京都大学を24歳で卒業した後、25歳で就職したものの、インターネットとプログラミングに出会った衝撃で28歳で退職し、シェアハウスの運営や執筆活動などで生計を立てています。

 

 

本書では、あれができないこれができないといった「できなさ」と、それをいかに受け入れていくかについて書かれたものになります。

 

 

 

さてこの記事では、文中で気になった部分を紹介していきます。それについて、僕が思ったことについて述べていきたいと思います。

 

それではご覧下さい。

 

 

他人の視点の欠如=社会性の欠如

 

phaさんはスーツのことを拘束具と表現するくらい、スーツのことが嫌いな人です。

 

僕もスーツ、大嫌いです。ネクタイの位置とかカッターとかいろいろありますが、僕の場合は靴が一番嫌でした。足の甲が高すぎて、革靴が全くと言っていいほど合わないんです。

 

 

「足の甲が合わない?ならさっさと足の甲削って靴に合わせろや。」

 

 

と世間から圧力かけられているような気分でした。

 

足の甲が合わないわけですから、ほんの少し歩いただけで足はズタズタ。世の中の正規で働く会社員様は、タフを通り越して実は絶倫なんじゃないかと思ったほどでした。

 

 

 

しかしスーツのようなシャキッとした服を難なく着こなせる人ほど、社会性が高いと僕は考えています。

 

周りの人に自分がどう見られているか、しっかり考えることができるからです。

 

 

「こんな服装じゃだらしない…!!! もっとちゃんとした服を着なければ…!! 」

 

「髭を剃ったり散髪しなければ…!!!!! 」

 

 

周りの目をしっかり意識し行動できる人ほど、社会性の高さも比例して上がっていきます。

 

そして逆に、周りの人の目を一切気にしない、できない人ほど社会性が低いです。

 

 

僕も社会性はかなり低いですが、他人の視点を気にすれば社交性が上がるかと言われれば、僕は全く上がりませんでした。気にするだけ気にして、むしろパニックになってゲボを吐いて終わりました。

 

 

特に就活において、それが全面的に出ていたと思います。身だしなみを整えるなど、最低限のことをこなすだけで本当に精一杯でした。まともに人と話せたもんじゃない。

 

 

周りの視線を気にして、自分を鼓舞できるならいいですが、僕のように追い詰められるだけに終わるのなら、いっそ無視した方がいいと思います。

 

 

わろてたらええねん

 

コミュ力とは、他人と上手くやっていく上で、必要不可欠なスキルと言っても過言ではありません。僕のようなコミュ障は人生が続かないと断言できます。

 

 

しかしそんなコミュ障でも、ちょっとした処世術のようなものがあります。それが「わろてたらええねん」です。

 

 

人間というのは、誰かが話を聞いてくれるだけで大抵は満足する生き物です。笑顔で相手に同調するだだけでもかなりの効果が期待できます。

 

 

僕も相手と会話するとき、ほとんどの場合において、上手い切り返しができたためしがありません。

 

 

「はい…!!! 」「分かりました…!!!! 」「了解しました…!!! 」「そうなんですね…!!! 」「え、そうだったんですか…!!! 」「なるほどです…!!!!! 」

 

みたいな返しを今までの人生でやってきました。適当に愛想笑いも浮かべつつ。

 

 

本書を読んでみると、phaさんも僕と同じことようなことをしていたのに驚きました。それと同時に、僕のこの方法は間違っていないのだと再確認することができたと思います。

 

予定が守れないから苦手でなく、むしろ守りすぎるから苦手

 

phaさんだけでなく、適当に物事をこなすことが苦手な人って多いと思います。

 

 

真面目だからやりすぎてしまうというのではなく、適当にこなすということになると、文字通り「適当」になってしまうからなのです。

 

 

加減がなかなかできず、やりすぎるか手を抜き過ぎるかのどちらか一方になってしまうんですよ。決して真面目だからやりすぎるわけではないのです。

 

 

適当と言いつつも、押さえるべきポイントというのは必ずあります。不器用な人はそこがいまいち把握できず、今日も物事を極端にこなしてしまうのでした。

 

本当に大事な部分を守るために、壊れてもいい部分を代わりに壊す

 

お酒を飲んで肝臓を犠牲にする代わりに、心の健康を保つような感じですね。仕事終わりに居酒屋で上司の愚痴を言いまくるのが最たる例でしょう。

 

自分にとって本当に大事なものは何なのか、まずはそれをしっかり定義しなければいけません。

 

旅の荷物というのは、その人が生きる上で何を必要としているかが如実に現れるもの

 

僕は旅行に行くとき、衣類やアメニティグッズといった必要最低限のものは必ず持って行きます。

 

 

あまりに余計なものを持って行くと、荷物が重くなるばかりか、どこに何を収納したのか分からなくなってしまうのです。

 

僕の管理能力では、必要最低限かそれ以下の荷物が限界なのだと思います。まぁそれ以前に、物にあまり関心がないだけなのかもしれませんが。

 

文章の中に他人を登場させることが苦手

 

僕もかつて漫画を描いていた身でありましたが、やはりキャラクター同士のやり取りを描くのは苦痛でしかありませんでした(まぁそれ以前に絵を描くことに関心がなかったのですけどね)。

 

phaさん自身、それを他人に興味がないからだと仰っていました。確かに一理あるかもしれません。創作であれ、人とのやり取りには社会性が生じます。

 

世の中の漫画家やラノベ作家は、それを上手く想像して描くのですから、ただの人見知りならまだしも、コミュ障でしかも他人に関心の持てない人間ともなれば、創作なんてまともにこなせやしないでしょう。

 

個々のキャラが何をどう考えて行動しているか、社会性の「し」の字もない僕にとって、創作などに手を出すべきではなかったのです。

 

まとめ

 

phaさんの本は、僕のような人間にとってはバイブルと言っても過言ではないです。

 

どの内容にも共感できますし、読んだことで「あぁ、僕だけじゃなかったんだな…!!! 」と気が楽になりました。

 

 

どうしてもできない部分は克服するのでなく、受け入れるという姿勢を持つこと。そのためにはまず自分には何ができて、何ができないかを探していく必要があります。

 

 

ぜひともオススメしたい一冊です。

 

はい以上、ばいちゃ!!!!!