発達障害もどきの行く末

発達障害グレーゾーンと診断されたとある社会不適合者による悪足掻き。とにかく職歴が悲惨

自分がされて嫌なことを人にもしなければ生きづらくなる

自分がされて嫌なことは人にしない。傍から見れば美徳な心がけだと思う。

 

しかしそれを押し通して生きようとすればするほど生きづらくなっていく。底辺にいる人の共通点の一つとして、自分がされて嫌なことを人にできないというのがある。

 

目的を達成するために、自分がされて嫌なことを人にする

無論、自分がされて嫌なことは人にしない方がいいのは当然である。だがどうしても、人に嫌なことをしなければならない状況というのはザラにある。

 

学びの場において、悪いことをした子どもを注意したり叱ったり、ときには怒鳴ったりするのは教師のやるべきことである。いかなる理由であれ、人からキツい指導を受けるのは嫌なことである。

 

しかしただ自分がされて嫌だったという理由だけで、子どもにキツい指導を怠るのは教師失格である。

 

目的を達成する上で、自分がされて嫌なことを人にすることは必要悪なことである。

 

仕返しが怖くて、自分がされて嫌なことを人に強いることができない

どういうかたちであれ、自分がされて嫌なことを人にすると、その人から仕返しをされる可能性がある。その仕返しが怖いからできないという人もいる。

 

しかしここは勇気の見せ所なのかもしれない。自分の目的を達成するために、多少のリスクは背負わなければならない。

 

世の中は自分がされて嫌なことを人にしないで済むようにはできていない。生きるために誰かが誰かに嫌なこと強いて、その誰かがまた別の誰かに嫌なことを強いる。人間社会とはそんな歪な音を立てながら回っている。

 

自分がされて嫌なことを人にしないと生きづらくなる

気に入らないことがあったらすぐに怒鳴ったり圧力をかけてくる上司、早い者勝ちと言わんばかりに空いている席に座り込んでくる図々しいデブ。人に嫌なことをしてくる連中は枚挙にいとまがない。

 

しかしそういう人たちを一人一人反面教師にすると、自分の行動を大きく制限してしまうことになる。突き詰めると何もできなくなってしまう。

 

自分がされて嫌なことを人にしなければならないとしたら、せめて必要最低限に留めておくのが無難だろう。