発達障害もどきの行く末

発達障害グレーゾーンと診断されたとある社会不適合者による悪足掻き。とにかく職歴が悲惨

太宰治の『人間失格』を読んでみた感想

以前、僕は夏目漱石の『文鳥夢十夜』という文学小説を書店で買ったものの、わずか2ページで投げ出してしまった。全文が古語だったので、最初から読む気が失せた。やはり素人がいきなり古語を読むのは難しいものだったのだ。

 

今回は太宰治の『人間失格』を買ってきた。これも文学小説ではあるが、難しい単語には補足説明がされてあるので『文鳥夢十夜』より読みやすかった。

 

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太宰治が『人間失格』を書き上げたのは1948年で、その年と同じくして本人も入水自殺を遂げている。この『人間失格』という文学小説は、太宰治が自身の人生を書き綴ったいわば自叙伝である。

 

文学小説自体、学生時代に授業で読んだきりなので、独力で読むのは今回が初めてである。当時から難しいと思っていたが、今でも十分難しそうだ。

 

すでにこの文学小説を熟読した人からすると「いや、そんなこと本書に一言も書いてないだろ!」とか「いや、それそういう意味じゃないから!」と思われるような記事になるかもしれないので悪しからず。

 

読解力のない人が、太宰治の『人間失格』を読んでみた感想

 

まずは話について紹介していこうと思う。

 

主人公は葉蔵という名の男性。端的に言うと、幼少期からすでに周囲とは違う感性を持っている異常者である。『人間失格』という文学小説そのものが、太宰治の人生と言っても過言ではないため、葉蔵は太宰治の分身のような存在と呼んでも差し支えない。

 

 

周囲とは違う感性と言っても、「人を〇すのが快感」とかそういった非常識的なものではなく、せいぜい「みんなが面白いと思うものを理解できない」といったレベルである。そんな感性を持っている彼だが、それが周囲にバレないよう必死に隠して生きてきた。

 

隠そうとか思ってる時点で、葉蔵が根っこの部分でまともな人間というのが伝わってくる。

親元を離れ一人暮らしを始めるも、まともに働かず堕落した生活を送ることになる。心身ともに疲弊した葉蔵は、恋人と心中するも運悪く自分だけ生き残ってしまう。さらにその恋人の自殺幇助罪に問われてしまう。

 

その後、同棲している女性がレ〇プされたことで精神的に破綻してしまい、それを落ち着かせるべく薬漬けの日々を余儀なくされる。まもなく心身ともに完全に壊れてしまい廃人と化してしまう。

 

ざっくり述べたが、以上である。

 

 

結論を言うと、よく分からなかった。

 

後述の太宰メソッドは興味深かったが、著者が一方的に書きたいことを長々と書いてあるせいで文章自体が読みづらく、要点を上手く掴めなかった。もう少し簡潔に書いて欲しいと思った。そして相変わらず話の内容は難しいものだった。

 

 

僕はバカなので、読解力のある人から何十回と指導を受けながらでないと、こういった文学小説の内容を理解することすらできないと思う。

 

まぁそれ以前に、一度読んだ文学小説を立て続けに読み直すなんてあまりにも面倒である。教科書や参考書じゃあるまいし、そこまでするとなると最早ただの読書ではなく資格勉強の域になってしまう。

 

印象に残ったところ

世間というのは君じゃないか

世間とは、いったい、何の事でしょう。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。

 

要蔵が堀木という人物に「女遊びはもうよせ。それ以上は世間がゆるさない」と、自身の女遊びを咎められた際、心の中で要蔵は「世間というのは君じゃないか」と静かに反論した。この一連のやり取りは太宰メソッドとも呼ばれる。

 

人は何かを否定するとき、主語を無駄に大きくする癖がある。

 

自分が気に入らないものに対して「そんなんじゃいつまで経っても社会は認めてくれないぞ!」とか「お前の振る舞いはみんなが迷惑してるんだ!だから今すぐやめろ!」など、本来なら自分だけの意見のはずが、あたかも自分でなく他の人たちの意見であると言わんばかりの無責任な言動である。

 

まとめ

 

僕はこれまでにいろんな本を読み、こうしていくつも記事にしてきた。

 

僕は読解力に乏しいため、読んだ内容を大きく曲解した挙句、一方的に結論付けてしまうことも多々あるような気がする(指摘されたことがないのでよく分からないけど)。

 

周りの人が同じ本を読んでいるのを参考にしながら、読んだ内容の本当の要点などをしっかり抑えておく必要があるのかもしれない。