発達障害もどきの行く末

発達障害グレーゾーンと診断されたとある社会不適合者による悪足掻き。とにかく職歴が悲惨

読書だけしても何も意味ないよね

「本を読めば人生が変わる」

「成功したければ本を読め」

「とにかく本を読め」

 

「読め!」

「読め!!」

「読め!!!」

という情報がネット上に溢れている。

 

僕もかつて本をいっぱい読んできた。

煽動されるがままに読書をしてみた結果、特に人生が好転することはなかった。時間と労力を無駄に消費しただけに終わった。我ながら意味ないことしたなと思った。

 

それにただ漠然と読書しているだけだと、娯楽にすらならない。

 

読む本によっては予備知識が必要だから

読書と言っても、どういった系統の本を読めばいいのか悩む。例えば美術やデザイン系の本を読むとなると、その分野に関する知識がなければならない。

 

知識も何もないのに「とにかく本を読め」と言われて読んだとしても、内容が全く頭に入ってこない。意味のない読書である。

 

無論、そういった予備知識がなくても読める本はいっぱいある。いわゆるベストセラーの本なんかがそうだ。

 

ベストセラーの本はとにかく内容が分かりやすく、共感されるようなフレーズで溢れている。毎年違う本が出版されているものの、どれも内容は一緒である。

 

なのでそういった本に対して、徐々に面白さを感じなくなっていく。意味のない堂々巡りである。

 

読書が趣味と言っても、似たようなジャンルの本ばかり読んでいるとさすがに飽きてくる。そうなると予備知識が求められる本に手を出そうとするだろう。しかしその予備知識を得るためには勉強しなければならない。

 

読書を娯楽として楽しむためにも、結局は勉強が必要不可欠になってくる。

 

読書を楽しむためにいろんな勉強に興じられるならそれで良いかもしれない。

 

そもそも頭が悪いと本の内容を理解できない

僕のような頭の悪い人間が読書をしたとしても、自分本位に曲解したりするので、本に書かれている通りの知識が身に付かないこともある。

 

例えば

「頑張らなくていい✨」

「自分を偽らない、ありのまま生きる✨」

という文言を、目の前のやるべきことをほっぽり出すためのお墨付きの言葉として捉えてしまったりする。

 

僕のように頭の悪い人は、怒ったり呆れたりしながらも教えてくれる人と読書した方が効率的だろう。まぁそうなるとただの読書ではなく勉強の域になってしまうが、意味ない読書をして時間を無駄にするよりマシだろう。

 

結局行動しないと人生は変えられない

一冊本を読んだとしても、その内容に基づいて行動していかなければ人生は好転しない。

 

「読書後は絶対アウトプットしろ」

「とにかくアウトプットして本の内容を頭に叩き込め」

という情報もネット上に溢れている。

 

しかし結局時間が経つと忘れてしまう。それに面白くなかった本に対してまでそんな面倒なことしたくない。

 

 

そもそも行動するのが大事なのであれば、その動機を無理やり読書に求める必要はない。ネットサーフィンしてたら偶然、役に立ちそうな情報を見つけたとかいろいろあるだろう。

 

世間では若者の本離れなんて言われているが、別に何の問題もないし当然だと思う。大抵の情報はネット上に溢れているし、著名人の意見は SNSを通して知ることができるし、尚且つ気さくにその意見に対して自分の意見を発信することもできる。

 

昔の時代は情報収集の手段が本しかなかったからか、「とにかく本を読め」と言う人がいても仕方ないと思う。

 

僕にとって読書は意味ないものだったが、少なくとも意味がないと実感することができたので、まぁそれはそれでいいんじゃないだろうか。