私はかつて、半年経たず会社をクビになってしまった過去があります。
その内2ヶ月は製造部として工場現場で働き、残りは他部署で働きました。
製造部として工場現場で働いた2ヶ月間で、私は「人は希望がなければ頑張れない」ということを学びました。
どういった過程の中でそう学んだのか、詳しく紹介していきたく思います。
初日から無理だと直感した、印刷工場の仕事
初日は機械トラブルということで、午前中は大した仕事はせずに済みました。午後から紙の積み込みや、試し刷り、印刷機の版の交換など、本格的に仕事をしましたが、それらの業務を通じて、私が導き出した答えが以下になります。
あぁ...、ワイ現場仕事向いてないわ(笑)
1週間耐えた後にメンズエステのご褒美♡
長い1週間が終わりました。その週の土日が休みだったのと、残業も全くなく、定時で上がることができたので、辞めたいという気持ちはあれど、気分的には悪くありませんでした。
土日の間にメンズエステに行き、1週間の疲れを癒しました。現場は大変な仕事ではありますが、毎週こういったご褒美があればなんとかやっていけるのではないか、そのときは心から思い込んでいました。
しかしそれでも耐え切れず…
その週からなんと残業が発生してしまいました。おおよそ2時間以上でした。
は…!!????
何かの冗談だろうと思っていたのですがマジでした。幸いにも強制はされなかったものの、周りの人たちが働いている最中、私は定時退社をかましてしまいました。
しかし毎回定時退社するわけにもいかず、いつかは腹を括らなければいけない日が来るのは火を見るより明らかです。
長期休暇が明けた頃には、働いている間ずっと「ズル休みをするための口実」を延々と考えていました。
トドメを刺され、辞めることを決意
200万円する印刷機のローラーを拭く作業や、機長から罵声を浴びせられたというのもあり、私の精神はすでに限界を迎えていました。精神の限界に達したその日、私は決心しました。
休むかぁ...!! 明日ズル休みするかぁ...!!!
なんとズル休みを決心しました。社会人として失格したも同然ですね。翌日、会社には「朝から頭が痛くて...(>_<)」と電話で連絡し、欠勤してしまいました。
その日の間に、翌日のことを考えていました。端的に申し上げますと「辞める」と伝えるだけなのですが、私は
部署異動ができないのであれば辞めさせていただきます!
と伝えることにしました。
社長やその他幹部との面談時
「他部署の子らも、最初は現場で3ヶ月頑張ったのに、君は2ヶ月でギブアップするんか?」
他の部署の人たちは、最終的に製造部以外の部署で働くことが約束されているからこそ、現場での過酷な仕事に耐えることができたのだと考えます。先に希望があったからこそ、今の絶望に耐えることができただけの話です。
それに比べて私の場合はどうでしょう?現場での試用期間を乗り越えることができたとしても、先に待ってるのは結局は現場での過酷な仕事です。先には絶望しかないのに、どうして今の絶望に耐えることができるというのでしょう。
人は希望がなければ頑張ることなど到底できるはずがありません。
少なくとも社長やその他幹部の人たちは、そのあたりが全く見えていませんでした。
紆余曲折あり、私は製造部から他の部署にめでたく異動ということになりました。異動するときの条件として、もう2週間だけ現場の方で仕事をするということでしたが、なんと普通に耐えることができました。
しかし異動先でもいろんなことがあり、結局はクビになってしまいましたが、それはまた別のお話。
まとめ
「人は希望がなければ頑張れない」ということをしっかり学ぶことができました。
やりたいことのためにやりたくもないことをするのはまだ我慢できますが、やりたくもないことをするためにやりたくもないことをするのは誰だって我慢できません。
辛いことを耐えれば楽園が待っている人と、辛いことを耐えても地獄しか待っていない人、一体どちらが頑張れるのか、
もう言うまでもないですね。